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コラム・法語
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自問自答 ― 「そんならやめるこっちゃ」

2024.02.08

仏法は一言との出遇いに尽くされる。
親鸞聖人もまた波乱のご生涯の折々に、耳の底に留まるところの聖徳太子の夢告、よき人法然聖人の仰せが聞こえてきたに違いない。
夢告讃と称される聖人ご晩年の一首、「弥陀の本願信ずべし」(聖典500頁)は、専修寺御草稿本では「この和讃を、夢に仰せをかぶりて、うれしさに書きつけまいらせたるなり」(聖典1059頁)と書き添えられている。夢告が聞こえた「うれしさ」が聖人に筆を執らせた原動力であった。

23年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の作者古沢良太氏は「人生は正解のない決断を「どうする?」と選択を迫られることの連続でしょう?」と言われているが、日々の暮らしの実相を言いあてている。作者は人間を見つめ、現代の時代感覚をキャッチして「悩む家康」を描き出したのだろう。

暁烏敏先生と若き日の出雲路暢良先生の問答が憶われる。単なる質疑応答ではない。態度決定を生み出す実験過程が記録されている。

学生「語学が嫌いで、英単語を調べて勉強するなんてほんとに大嫌いだわ」
暁師「そんならやめるこっちゃ」
学生「ちょっと待ってください。学生が英語の勉強をやめたら、大工さんがカンナかけるのをやめるのと一緒で仕事の放棄ですわ」
暁師「そんならやるこっちゃ」

この問答を通して、教えられつつあることを出雲路先生は、以下のとおりに記されている。

それから以後、何かにぶつかった時に、私はいつも自分に「やめるこっちゃ」とこう言う。そうすると「やめるこっちゃ」と言うてやめてしまえる程度のものは、どっちでもいいことですね。「やめるこっちゃ」と言われた時に、初めてそのことが自分にとってどんなに大事なことか、どの程度大事なことかと、そのことが自分にはっきりが確認される。
こんなつらい娑婆で「生きとってどうなるか」「そんならやめるこっちゃ」、そう言っていっぺん否定した時に、それでもなおかつ、「このことの故にこそ俺は生きなきゃならんのだ」ということがあれば、そこで生きられる。

(出雲路暢良選集Ⅱ『問われつつあるもの』222頁・抄録)


今度の会議に出るか、欠席するか。
結婚生活を続けるか、離婚するか。
息子一家と同居するか、一人暮らしを続けるか。
転職するか、今の職場で頑張るか。
廃業するか、再開するか。
申し出を引き受けるか、断るか。

「そんならやめるこっちゃ」、この一言が態度決定を生み出してくれることもあるのだろう。たかが一言、されど一言。南無阿弥陀仏


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