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コラム・法語
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藤原正遠師の御歌

2022.03.05

藤原正遠師(ふじはら しょうおん・石川県浄秀寺) ※ 1992年10月横山定男氏撮影
平成9〈1997〉年1月19日 92才にて西帰・彩雲院釋正遠
明治38〈1905〉年6月11日、福岡県甘木市秋月の広沢家に生まれる。昭和9年藤原鉄乗師の令嬢 利枝師(平成21〈2009〉年11月14日西帰・浄華院釋尼妙利)と結婚。大谷大学卒業後、学校教員・昭和22年本山教務部長(在任5ヶ月で訓覇信雄師ら「五部長」辞職)を経て、昭和23年浄秀寺住職。同38年住職を後に譲り、晩年まで全国各地に布教に赴く。

法話の下調べをしていて、ふと正遠先生の御歌がよぎりました。無力感さえ湧いてくる、連日のウクライナ侵攻の報道に揺さぶられていることも手伝っているのでしょう。またある方から、後輩の僧分の急逝を知らされたこともあるのでしょう。共に絶句するのみ、厳しいご催促としか言えません。

正遠師のお名前は、林暁宇師や谷田暁峯師から、よく耳にしました。加賀の両師のもとに集う方々が讃嘆するお名前は、正遠先生であり、坂木恵定先生(さかき えいじょう)であり、あるいは松原祐善先生でした。暁烏哲夫先生(旧姓:清澤哲夫・暁烏敏師ご西帰後に、西方寺清澤家から入寺)の「仏さん、ほっとかんじゃわいや」で、ひっくり返った老媼もおられました。師に遇うことは決してゴールでなく、出発を恵まれることとも教えられました。
以下、『藤原正遠講話集』第五巻(法蔵館)に収められている師の御歌の抜粋です。

わがこころ迷い迷えどみ仏の寸分狂わぬ決定(けつじょう)の中

決定はわれには用事なかりけりみなみ仏の決定の中

このままとこちらで聞けば自力なりまかせまつればまことこのまま

さびしきはさびしきままがそのままが弥陀のいのちのみ流れときく

空(から)念仏まことによろしいつの日か空は棄たりてまことは残る

煩悩をわがものとする卑下慢(ひげまん※劣等感)に永くとどまりみ仏を見ず

人生に救いはないぞないぞよと喚(よ)びつづけます無縁の大悲

大転換すれば転換せざる人見えきてさばく罪ぞ悲しき

貪愛(とんない※むさぼり・執着)もまた瞋憎(しんぞう※怒り・憎悪)もそのままが弥陀のいのちのみ流れときく



以下は、林暁宇先生からお聞きした正遠師の信心の表白です。「南無阿弥陀仏も間に合わぬから南無阿弥陀仏」。そして一転して「そうなったらすべてがお恵み お恵みのまんまん中」。功徳は十方にみちたまう―、もともとそうだった!南無阿弥陀仏


分からぬから南無阿弥陀仏

助けがないから南無阿弥陀仏

親も兄弟も間に合わぬから

南無阿弥陀仏

自分の心も体も間に合わぬから

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏も間に合わぬから

南無阿弥陀仏

そうなったらすべてがお恵み

お恵みのまんまん中

南無阿弥陀仏

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