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コラム・法語
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4月29日林暁宇師ご命日

2022.04.29

大正12年に北海道にお生まれになった林暁宇師(はやし ぎょうう・俗名:茂)のご命日は今日、平成19(2007)年4月29日です。毎春1泊2日の日程で勤めていた「暁宇忌」は、全国各地から集い、飲食を共にする法座の為、誠に遺憾ながら今年も見送りました。

2004年9月26日彼岸会法要 了善寺にご出講いただいた最後のご縁となりました

今朝のお朝事の際に、「もしみおしえにあわざれば 生まれしこともむなしけれ もしよきひとにあわざれば 今日のよろこびしらざらん」との師教が浮かびました。昨日の真宗会館での法話(「実験道」  (121) お坊さんの法話2022年4月28日「「実験道」(じっけんどう)」 – YouTube  )の結びにて、林先生の求道の姿勢を讃嘆しつつも、時間切れで多くを語れずじまいであったことも思われ、この一言こそ―との思いが湧いてきました。
かつて真宗大谷派出版部から刊行された著書の題名が『もしよきひとにあわざれば』だったことを憶うとき、最も切り詰めればこの一句に尽きるというのが先生が実証された実験結果であったと申せます。(大谷派出版部からは、上述の他に、宗派としてのベストセラーとなった『三味線婆ちゃん』・伝道ブックス『むなしさをこえる』等が刊行されています。また月刊『同朋』誌の「和讃」や「念仏総長暁烏敏」の連載等、暁烏先生とその僧伽を讃仰する著述が多くあります)

師に遇う―とは、決してゴールでなく出発点です。著名な先生や教学者との出遇いに限るのではなく、私に先立って道を求めた人、念仏まことと実証してくださる行証の人、身近なおじいさんやおばあさんも含めた師友との出遇い、「よきひとのおおせ」との出遇いを指します。僧伽の歴史に遇うことであり、法然上人が善導大師の一句によって回心されたように、面授に限定することでもありません。既に遇っていながら素通りしているのかもしれず、遇ったつもりが人格依存に堕ちることもまたあり得ます。春四月、学校での教師との出遇い、職場での上司との出遇い、あるいは結婚相手との出遇いが生涯を左右することがあるように、出遇いは人間にとって決定的な力を持つことであることはいうまでもありません。

「釋というは、釈尊の御弟子とあらわすことばなり」(聖典520頁)とあるとおり、法名の授与は、釈尊から「わが善き友よ=親友(しんぬ)よ」と呼ばれる仏弟子の身を賜わることでもあります。『正信偈』が法蔵菩薩と世自在王仏との出遇いから詠われているように、阿難の目に、阿弥陀の徳に住する釈尊の「仏仏相念」の世界が飛び込んできたように、はからいを破られる「時機純熟」、個人体験にとどまらない、最も公けな世界の到来が出遇いです。

それにつけても生涯を尽くして、暁烏先生とその僧伽を全身全霊で讃仰されたご生涯を憶念しつつ、今年のご命日を迎えました。先生、ありがとうございます。南無阿弥陀仏

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