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解説

この一言は、若き日の林暁宇師への暁烏敏(あけがらすはや)師の仰せです。
『仏説無量寿経』に説かれている師仏・世自在王仏が弟子・法蔵比丘に告げた「汝自ら当(まさ)に知るべし」とも重なって響きます。本願を生み出す力がこの一言に凝縮されている感銘をおぼえます。
以下の一文は、2007(平成19)年3月公益財団法人仏教伝道協会から「仏教伝道文化賞」を受賞した際に同門の松田章一氏(ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/松田章一)が寄稿されたものです。

『貰(もら)う人・林暁宇さん讃仰』 松田章一

暁宇さんは、暁烏敏師の晩年の門弟である。
二十六歳の時北海道で初めて師に遇い、「本当にしたいことがあったらそれをやれ。それで死んでも悔いなかろう」という言葉を貰う。「本当にしたいこと」とは暁宇さんだけではなく、人類すべての問いであり希求である。
北海道から石川県北安田の明達寺(みょうたつじ)に来て、師に、「君は坊主になれ」と言われ、「坊主は乞食だぞ。今後衣食のことは一切仏さんにまかせ、君は君の願いに精進せよ」との言葉も貰う。
暁宇さんは得度して僧侶になった。師が亡くなったあと『暁烏敏全集』の編集をした。肺結核を再発し左肺を切除した。結婚をした。明達寺の寺務をした。だがそれらは「死んでも悔いない」こととはならなかったようだ。
四十七歳で明達寺を出て、一人の知人もいない小豆島の四軒長屋の片隅に夫婦で棲みつく。学歴も体力も収入もない。何もかもを貰わねば生きられない貧乏生活で、「坊主は乞食」の本格的生活が始まる。「貰う人」に徹して、はじめて「衣食のことは一切仏さんにまかせよ」という師匠の言葉が暁宇さんの全身を貫き、師の師、清沢満之(きよざわまんし)の言葉「衣食あらばこれを受用し、尽くれば従容(しょうよう)死につくべきなり」が暁宇さんの現実生活となる。
「貰う人」暁宇さんは、次々と真の念仏者に出遇う。それは人であり物である。そのことを来る人に語る、文字に書く、テレビ・ラジオで語る、生活で実証する。小豆島、札幌市、石川県鳥越(とりごえ)、鍋谷(なべたに)と放浪の住居を具足舎(ぐそくしゃ)と名付けた。具足こそ暁宇さんが「願いに精進せよ」との師の言葉に応える相(すがた)であろう。
八十四歳の暁宇さんは今、こうした出遇いの感動を『乞食(こつじき)の系譜』として書き綴っている。仏縁のなかった人や読書に縁遠かった人のためにと、月刊の「鍋谷だより」千部を配布。誌代支払いは自由。―私はなぜ教えにあわねばならなかったか―シリーズなど、四十冊を越える具足舎刊の著作は、師暁烏の出版を見習ってほとんどが自費出版。年間一万五千冊が山奥の僻村(へきそん)から全国へ送り出される不思議。
子供もなく、妻はグループホームに入り、近頃は病弱で家に籠(こ)もる暁宇さんだが、世話をする法友にも恵まれて、「それで死んでも悔いなかろう」という「師に貰った言葉」をかみしめながら、欣然(きんぜん)として仏行にいそしんでいる。

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