〈告知〉8月27日(日)香草忌(暁烏敏師ご命日記念法座)
2023.08.06
本年は、8月27日(日)14時~16時半/本堂参詣+Zoom参詣にて、「香草忌」を勤めます。事前連絡不要ですが、初参詣の方は①氏名②携帯番号③本堂/Zoomの別を記入の上、メール送信くださると有難く思います。法話は、昨年同様に当山住職、百々海真です。
暁烏敏先生の、この面立ちにすべてが凝縮されています。晩年に光を失ったことも含め、鑑真和上に似ておられるとか、生き仏とか、あるいは悪魔だ!との称賛も批判もすべてを肯(がえん)ずるお姿です。宗派の枠を遥かに超えた存在ですから、当時から宗派内の僧分は賛否両論真っ二つ、一方で門信徒や宗派外の在野の人々との交流-例えば西田幾多郎・鈴木大拙・高浜虚子・棟方志功・佐伯定胤〈法隆寺管長〉等-は、広く深くでした。何よりも、生涯を通して田舎寺の一住職であった一面が師の真骨頂であったと私は教えられています。
晩年に師は固辞し続けるも説得されて、財政危機に陥った真宗大谷派の総長職を引き受けます。昭和26年1月下旬、GHQ統制下で給料遅配に陥り風紀は荒廃する真宗大谷派という火中の栗を拾った報恩行でした。就任後11か月余りで、約2904万円の累積赤字を一掃、約1000万円の黒字に転じます。その原動力は、自らが「信の人」であったことに尽きます。名利の温床ともいうべき座に身を置き、名利を照破する光を仰ぎつつ念仏申して生きられたのでした。
「借金の話はもうこれで打ち切りです。債権者への言い訳は僕が引き受ける。三千万ぐらいの借金が何ですか。この本山は念仏から湧き出たものです。念仏の中に衣食住があります。衣食の中に道心はありません。念仏がなくなったら、この本山も消えるが宜しい。念仏の湧くところに本山はますます栄える。何よりの証拠は、そもそもこの本山は念仏によって出来たということだ」(野本永久『暁烏敏伝』715頁)
「念仏がなくなったら、この本山も消えるが宜しい」。
寺はそもそも何の為にあるのか、僧俗共にこの一点に回帰する時節が既に到来しています。それにつけても、圧倒される仰せです。南無阿弥陀仏