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〈開催報告〉7月16日(土)盆法要

2022.07.17

7月16日(土)14時~15時30分、盆法要が勤まりました。参詣は堂内21名+Zoom最多13名でした。雨模様でしたが、涼しい日和となり、お勤め+法話、計90分でした。

浄土真宗では「位牌」ではなく「過去帳」「法名軸」ですが、葬儀の際には、暫定的に白木の位牌に命日と法名を書いて用いています。白木の位牌は、納骨法要の際に寺にて引き取りますが、5,6年前からその裏面に「本名南無阿弥陀仏 俗名○○○○ ◇◇歳西帰」と記しています。

法話では、本名を忘れた私に、「本名を知らせる教えの名告り」が法名であること、特に池田勇諦先生から教えていただいた俗名・法名・本名の関係を中心に学ばせていただきました。

お聖教に「仮名人(けみょうにん)」との言葉があり、また「南無阿弥陀仏」の「南無」は「帰命」(「帰」れとの至上「命」令)、阿弥陀仏は法(因縁の法則を知らせる本願の法則)です。この身は既に、仏法を聞いても聞かなくても、法に随順しています。まさしく「身体の念仏」(西村見暁師)です。
ですがそのことを忘れた私に、「汝の本名、南無阿弥陀仏」と如来が来現くださいます。
思い通りにならない現実が、「汝は既に思いを超えて運ばれている」と知らせてきます。私は法の活動であった。現在の一息を恵む源泉が、私の出処であり、同時に帰り場所であった、と。

清澤満之先生は「生のみが我等にあらず。死も亦我等なり。我等は生死を併有するものなり」(『絶対他力の大道』)といわれます。

親鸞聖人は師法然上人のご命終を「化縁(けえん)すでにつきぬれば浄土にかへりたまひにき」「浄土に還帰(げんき)せしめけり」と、和讃されています。
阿弥陀仏は師法然となって、私親鸞を教化する為に穢土から還来され、そして説くべきことを説き終えたから浄土に帰られた―と。「化縁すでにつき」たと言い得るのは、聞くべきことを聞きとった感銘でしょう。
外出先から帰るのは、出かける前に居た場所です。出処がそのまま帰り場所、法界(ほっかい)の他に帰り場所無し、と教えられます。

霊魂と先祖供養を掲げる、旧称「統一教会」が話題になっています。Youtubeには、安倍元総理の霊視がいくつもアップされています。
どこから来て、どこへ向かう道中なのか。私たちにとって、根源的な重大事です。南無阿弥陀仏


※拙寺を含む東京都区部がおおむね7月盆となっているのは、明治初期に暦が変わった際に切り替えたからです。ですが都内でも郊外は8月の旧暦盆となっています。因みに茨城県は水戸市は7月盆、石川県では金沢市内は7月盆という具合で、当時の広報は全国一律に行き渡らなかったということでしょう。
「都心の過疎地」にある拙寺の場合、門徒の所在は港区内全域でも1ケタどまり、広範囲に分散しています。ついては地域の風習に合わせて、8月盆に自宅にお参りするご縁の門徒もおられます。


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