〈御礼・中間報告〉ウクライナ難民募金について(2月28日〜3月31日分)
2022.04.03
2/28〜3/31に寄せられた募財は、248,934円でした。
誠にありがとうございました。予想を超えた募財額となり、今なお続くウクライナへの無差別攻撃と避難さえままならぬ惨状への関心が高いことがうかがわれます。
今後も募金は継続しますが、当初の告知どおり、3月末迄の募財を 「真宗大谷派了善寺門信徒一同」名で、 在日ウクライナ大使館・国連難民高等弁務官事務所・ユニセフの3ヶ所に、それぞれ82,978円ずつ送らせていただきます。
3月29日深夜のニュース番組で、人道回廊=安全な避難ルートも確保されにくいマリウポリから国内避難した市民、ワレリアさん(女性)が現地の状況と現在の心境を語っていました。インタビューの最後の方で「私たちの苦しみを世界中の人々が経験しないように祈ります」と言われたことに感銘を受けました。
その語調からは、やわらかさを感じ、また自己犠牲的な気負いもなく、「阿弥陀の本願に生きる」とは、どこまでも「衆生と共に」なのだと教えられたことでした。真宗とは一宗一派にとどまるものでなく、普遍的な真実を開顕する教法です。
親鸞聖人は、ご消息(お手紙)の中で「(世の中が混乱し、大変なことが起こった時 ※念仏弾圧・法難を指す)それにつけても、念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころいれて、もうしあわせたまうべしとぞおぼえそうろう」(聖典568頁)とおっしゃいます。「世のいのりにこころいれて」とは、根源的な救いとは、私だけが救われる必要が無くなることと教えてくださっているのでしょう。まずは早期の停戦が望まれますし、救援物資、医療、緊急融資、難民の受け入れなど、様々な手立てや手助けは今後も重要です。この度の募金も、ささやかながら、遠く日本の地で今できることのひとつと受けとめています。と同時に、念仏とは救う側、救われる側を超えた、「衆生と共に」とのよびかけでしょう。
「念仏とは私一人の物にしておくべきものでない。念仏はもっと大きなはたらきをもった公の事業なのです」(川瀬和敬師)、この一言が指し示す世界をウクライナのワレリアさんから教えていただきました。
皆さまのご協力に深く感謝します。ありがとうございました。南無阿弥陀仏