〈開催報告〉6/13(日)臘扇忌
2021.06.14
本堂14名+寺務所2名、Zoom参詣最多31名の参詣を得て、今年の臘扇忌が勤まりました。 石川県白山市在住の拙寺衆徒、勝見喜巳博法兄のご協力により、講師島﨑暁民師(昭和5年生まれ・90歳)はご自坊(称佛寺・石川県白山市)からオンラインにてご出講いただきました。既に感想メールが7通届いていますが、一様に昨日のご縁を喜んでおられます。私も感無量。「だら」の世界に落在されつつある人ならではのやわらかさと精緻な学びとが一人の上に成就していました。清澤先生・暁烏先生のお仕事の大きさをまざまざと知らされました。やはりホンマモノです。
聖徳太子1400回忌の本年、講題は「和国の教主聖徳皇」でした。手書きのレジュメは計69頁もの大部、『日本書紀』・『三経義疏』・『念仏と国家』『聖徳太子を勧請す』(暁烏敏師)・『有限無限録』『臘扇記』(清沢満之師)・『言志四録』等の引用文と先生の「ご自釈」で成り立っている文類でした。
聖徳太子/親鸞聖人/清澤満之先生/暁烏敏先生を一つの流れとして見出し、暁烏先生最晩年の「三つの願い」の一つ、「聖徳太子様の『十七条憲法』研究によって、日本国の憲法改正運動を起こすということ」という大命題への島﨑先生渾身の応答がご法話の趣意でした。
(暁烏先生は戦後に「自分が独立せにゃ、国の独立ということはない。宗教ということは、自分が独立するということです。何ものにもたよらないということが弥陀の本願に随順するということです」「誰からも治められん。自治です」と喝破され、日本国憲法の自主制定を一念発起されています。主体性のかけらもない米国追随の日本を見通されていたのでしょう。)
島﨑先生は池田勇諦先生の「私物ではない」の一言を要として、17条憲法15条「背私向公(はいしこうこう)」(国民を戦争の手段とした、戦時中の滅私奉公では決してない)の真意を「仏法は無我にて候う」とおさえられました。「公け」が今日のご法話の核心の一語と聞きました。
昭和5年生まれの島﨑先生は、当時通っていた学校が戦争末期に海軍特攻兵の宿舎になったことから、翌日に鹿児島から特攻出撃する「海軍士官がビールをラッパ飲みしながら、廊下をぐでんぐでんに酔っぱらって歩いていた」姿にあっています。そして天皇が海軍軍令部から特攻の成果の上奏を受けた時、天皇制国家が崩壊したのだ-と言いきられました。地に足がついた渾身のご説法でした。
実は島﨑先生は今年2月末に脳梗塞を起こされ、救急車で緊急入院されています。リハビリを経て4月上旬に退院され、今回のご出講となりました。ですから入院中も読書を重ね、ご法話の準備をされていたそうです。病室でたまたま一緒だった大谷派住職氏とのやり取りを法話の冒頭で語られました。
住職氏 「島﨑さん。アンタ、暁烏さんのお弟子さんか」
島﨑師 「弟子言うても、末弟の末弟。お粗末な弟子でございます。6月13日東京の寺での臘扇忌で、「暁烏先生の最後の願い」にお応えしたいと病院でも『暁烏全集』をおさらいしとるんです」
住職氏 「アンタ、うらやましいなあ。人間歳(とし)とってほんとうに辛いのは、することがないことや。わしら、することないがや。こんなつらい、お粗末なこと、ないぞいね。アンタ、まるで『暁烏全集』にしがみついて、必死に何かやっておいでるが、うらやましいね」
レジュメ中の光る一言。
「仏法とは特別のことではなく、日々の真実である」。南無阿弥陀仏。