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〈開催報告〉7月13日(土)盆法要勤まりました

2024.07.13

本堂21名+Zoom8名のお参りでした

7月13日(土)14時~15時半、盆法要が勤まりました。
仏説阿弥陀経「超訳」拝読後に、阿弥陀経・正信偈同朋奉讃のお勤めでした。皆で勤める阿弥陀経はゆっくりと。その後に、法話(1席45分)でした。

「亡き人を偲びつつ、如来のみ教えに遇いたてまつる」。
聞法供養とは、この表白に尽くされます。
この世に生まれた仕事を果し終えた方のご生涯全体が叫んでいる「ご遺言」を聞き続けていく。「ご遺言」は、いつしか「ご遺教(ゆいきょう)」となり、過去の思い出でなく、いまの私を照らし導くはたらきとなってくださる。
先達は「死んでいく姿を見せることほど、重い説法はない」と。
この仰せは、全身をあげての身業(しんごう)説法を聞きとった人の表白(ひょうびゃく=信仰告白)です。私を取り巻く景色が、生きる世界が、一変する一瞬の到来でしょう。

バイデン大統領の出馬をめぐってアメリカは騒がしく、氏が万人に訪れつつある「老苦」を語っているように、実は他者は私を映す鏡なのでしょう。それは「私」を起点として、自他を評価し、物事をとらえ、行動し、仏法聴聞もその範疇に置き、しかもそのことに何の疑問も疑いも持っていない「私」が「汝」(なんじ=あなた)と喚び覚まされる主客の転換です。真実はいつでも向こうから、です。

釈迦牟尼仏の「牟尼」とは「沈黙」を意味し、「沈黙の聖者」との称号なのだそうです。まさに声なき声です。
「教法(きょうぼう)ありて尋ぬべきに譬う、すなわちこれを声のごとしと譬(たと)うるなり」(聖典220頁)。「声」でなく「声のごとし」、深く静かに響きます。南無阿弥陀仏


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