〈開催報告〉7/15(土)盂蘭盆会
2023.07.16
7月15日(土)14時~15時30分、盂蘭盆会が勤まりました。
まず「阿弥陀経」の超意訳を拝読。その後に「阿弥陀経」「正信偈」「念仏」「和讃 十方微塵世界ノ 次第六首」「回向」。一旦休憩し、その後に約45分の法話でした。
これまでは仏法聴聞のご縁に遇うことがなかった方も、「初盆だから・・」とお参りされました。大阪在住のご子息夫妻も一緒にお参りされた一家もあり、「みずから法を説きて聞かする人ならねども、法を聞かせる縁となる人をも善知識というなり」(存覚上人『浄土真要鈔』聖典722頁)さながらに、亡き方に生前の聴聞のご縁があろうなかろうと、遺された方にとって亡き方が「法を聞かせる縁となる人」になる光景でした。
法話では「阿弥陀というは願なり、仏というは力(りき)なり」(『真宗相伝叢書』)を軸に、真実の供養について学ばせていただきました。
結びに紹介した、武谷三男博士の言葉を記します。
博士は、1952(昭和27)年に建立された「原爆死没者慰霊碑」の碑文「安らかに眠ってください/過ちは繰り返しませぬから」に異を唱えています。
「安らかに眠ってください」と誓うことは、むしろ世間ではなじみ深いのですから、問題を感じる方は少なかろうと思います。
博士の真意をたずねてみます。
「私は広島の人に、どういう風にして過ちをくり返さず、原爆で死んだ人をやすらかにねむらすことができるかをききたい。
私はむしろ ねむらずに墓の底から叫んで下さい 過ちがくり返されそうです と書きかえるべきだと思う」 (『武谷三男著作集3 戦争と科学』・94頁・1968年 )
『児玉暁洋全集』に引用されていた言葉に衝撃を受け、武谷博士の著書を求めました。理論物理学者としての懺悔と深い見識が感じられます。
第二次大戦後、中国の内戦や朝鮮戦争が勃発する中、安らかさを知らない我らに安らかさを願うことができるだろうか、と「原爆死没者」に向き合う我ら自身を問い返すことこそ、真実の讃嘆供養でしょう。頭を下げ、亡き方のご遺言に耳を傾ける姿が浮かびます。
足下をみれば、ロシアのウクライナ侵攻が続き、世界の安全保障が揺らぐ中、プーチン大統領が核の使用をほのめかす展開は、「安らかに眠ってください」とは到底言えない現実です。
三世十方の諸仏善知識よ、どうか我らを目覚ましたまえ。
真実の供養とは、起点が私ではなくなるところにのみ開かれるようです。いつでも、どこでも、向こうから、なのです。南無阿弥陀仏