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「臘扇忌」(清澤満之師記念法要)について

2020.05.15

6月7日(日)14時~17時「臘扇忌」(清澤満之師記念法要)のご講師、島﨑暁民師はご高齢(昭和5年生まれ・今夏満90歳)であり持病もある為、誠に残念ながら今回のご出講は見合わせることとなりました。

従来の多人数参詣型行事は当面開催できない見通しですが、ZOOM配信を含めて現前の境遇における「臘扇忌」を勤めたく役員諸氏と協議中です。宣言解除・政府や都の方針発表を待って、本サイト上にて「臘扇忌」の詳細を告知します。しばらくお待ちください。


清澤満之先生は感染症「結核」に罹り、明治36年6月6日に満40歳に満たぬ齢でご西帰されました。前年6月5日には長男信一氏(11歳寂)、10月6日には妻やす氏(36歳寂)、自らが命終する2か月前の4月9日には三男広済氏(9歳寂)と妻子が相次いで急逝されます。その内2人は清澤先生がうつしたであろう「結核」を縁としたご命終と伝えられています。先達である松原祐善師や岩瀬暁燈師、林暁宇師も「結核」患者でした。

島﨑暁民師

因みに「結核」は、2017年にも約1000万人が新たに結核と診断され、年間約160万人が亡くなっている、克服されていない感染症の一つです。新型コロナウイルス出現による混乱と不安の根源は、世界中が老病死に直面したことにあるのは間違いないでしょう。私自身もその一人です。死への恐怖は、生ききっていない不安でもあります。釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタは、老人・病人・死人の姿に自らを見出し、その不安と恐れから出家し道を求め目覚めを得てブッダと呼ばれたのでした。清澤先生の激しい求道の背景には、当時「死病」と呼ばれた「結核」の身を生きることになったことと切り離して考えることはできません。また経済のひっ迫も文字通り死活問題です。それらの恐れと不安が求道に転ずるか否か。現在の状況が私たちに問うてくる課題=「死なねばならぬが死にたくない。死にたくないが死なねばならぬ」は、古今東西を貫く一大テーマです。蓮如上人はそれを「後生の一大事」といわれました。「臘扇忌」お待ち受けの只中、様々なことが私に去来します。南無阿弥陀仏

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