【開催報告】元日 修正会勤まりました
2026.01.02

お勤め・年頭法話・献杯 客間にてお斎
晴れ上がった東京の元日、 堂内27名・Zoom参詣6名を迎えて、修正会が勤まりました。
蓮如上人の『御文』一帖目第一通「ある人いわく」を拝読。宗教に関わる人間の副作用を言いあてていると感じ入りました。上人は門徒に対する僧侶の私有化意識、教えの正当性を自らの権威として振りかざす傲慢性を叱責し、その結果として教えに遇えず、僧侶も門徒も共倒れに―と悲歎し叫んでおられます。そして「身にもうれしさがあまりぬる」よろこびに共々に出遇ってほしい、と。
さて、法話では「宗教とはそもそも何ですか?私は阿弥陀さまをまだ信じていませんが―」という、昨秋耳にした質問を取り上げました。安倍元総理銃撃事件の公判に関する報道も流れる中、大事な質問です。
「宗教」の定義は、多岐にわたりますが、「宗教」とは、そもそも「仏教」を指す言葉でした。「仏教」=「宗の教」=言葉以前の真実を言葉をもって説きあかす、です。ところが明治になって「神と人間との結びつき」を意味する「religion」(レリジョン・英語)を「宗教」と訳したことから、語義が曖昧になったのでした。
その質問の後半、「私はまだ阿弥陀様を信じていませんが―」は、質問者が「シユウキョウとはカミやホトケをワタシが信じる」、あるいは「大いなるものを信じてこころの安らぎを得るのがシュウキョウ」と捉えておられることを感じさせます。この方に限らず、社会の大勢を占める宗教理解です。
元日は前住職の命日(2002年1月1日釋頑愚・満69才にて西帰)です。前住急逝後に教師検定を受験、04年夏に退社し05年春に住職に就任した私自身も宗教は「+α」(プラスアルファ」、所詮はこころの支えや依存にすぎない、だから私には不要・・と長年決めつけていました。ですからこの質問は他人事ではないのです。
聴聞する中で知らされつつあることは、仏教は人間の意識構造を説きあかしていますが、いわゆる「こころ」の問題(心境論)でなく、「身」の問題(存在論=境遇)に光を当てる教えということです。



身近な一例ですが、三帰依文には「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」という仏教独自の視点が説かれています。
「無始流転の苦」、「曠劫来流転」に目覚ませ、今生を限りない迷いを尽くしきる最後生に転じてくださるのが大悲の限りなさでしょう。
もちろん、こころの安定や人格向上を求めて聴聞する方もおられましょう。仏法に遇う縁は人それぞれです。ですが、その動機が翻され、未知なる救いを知らされ続けていくのが仏法聴聞道のようです。
本年も宜しくお願い申しあげます。南無阿弥陀仏















