【開催報告】3/20(祝)彼岸会法要勤まりました
2026.03.20
3月20日(祝)14時~16時、彼岸会法要が勤まりました。
ちょうど1週間前、3月13日(金)に小松大聖寺教区同朋会役員有志との語りあいにて、某氏がいわれた「皆さん、お一人おひとりに伺いたい。あなたにとって、浄土とは何ですか?。そして、浄土はあるのですか?ないのですか?」との問いかけをもとに学ばせていただきました。
「あなたにとって、「浄土」とは何ですか?」。
肌寒い雨模様とあって参詣者は少なかったのですが、聴聞のご縁を重ねている人が多かったこともあり、次から次に手が上がりました。法話中に問いかけて、これだけ多くの人が応答くださったのは初めてです。
A氏「浄土はあります。何故そう言えるか。南無阿弥陀仏となって、私の所へ来ているから」
B氏「いきなり「浄土」と言われても、大きすぎて、正直言って応答しにくいです」
C氏「私としてはまだはっきりしません。自分の浄土観を建設している途中です。ただ、今日の聴聞において、先ほどの阿弥陀経の意訳から新たに教えられました」
D氏「浄土とは現に穢土にいる私へのはたらきかけ、穢土にいると知らせるはたらきです」
E氏「私は、浄土とは〈ほんとうのこと〉と捉えています。ですから、それがあるのか、ないのかという視点では捉えようがありませんので、それを聞きたくて、お参りしています。今現在の私にとっては、そういうことです」

しばらくの間、参詣者からの応答を伺ってから、法話を再開。
親鸞聖人にとっては本願と切り離した浄土はない、本願がはたらく領域であって固有の場所ではない、ほんとうにあるのが浄土、「願土」・・と。
ふと思い出したのは、2002年元日に急逝した前住職(釋頑愚/百々海怜満69歳西帰)が葬儀社から取り寄せていた木棺の蓋に自ら揮毫していた和讃、「願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなわち大悲をおこすなり これを回向と名づけたり」(「高僧和讃」天親菩薩 聖典①491②591)でした。
還相の志願を詠った一首ですが、冒頭に「願土」=浄土とは本願の国土、と詠われています。
浄土とは穢土を穢土と照らし出すはたらき、「無量光明土」であり、また「正信偈」の「報土因果顕誓願」「必至無量光明土」、あるいは善導大師の「弥陀の本国四十八願」等、色々と申しましたが、語りあいを続ければよかったかも・・とふりかえっています。

イラン情勢が緊迫し世界が揺れ動く中、ちょうど日米首脳会談が終ったところでもあり、後半では上掲の曽我量深師の仰せに学ばせていただきました。
無人機とドローンとミサイルの応酬、世界規模のエネルギー危機。殺し合いがやまず、「第三次世界大戦」という語までが新聞紙上に幾度か掲載されている現状は、報復と迷いの連鎖としか言いようがありません。
それにつけても、トランプ大統領の名誉欲、金銭欲、闘争心は、仏教でいえば「名利」「貪欲」「瞋恚」。私にもすべてが具わっているだけに、同時代を生きる一人として考えさせられます。科学技術の進展やAIの恩恵は大きいものです。がそれらを軍事転用する見識の無さは、人間にとっての悲劇でしょう。
「浄土真宗」の四文字は本国を喪失して他界している私に「浄土を真の宗と為せ!」との呼びかけです。単なる教団名称などではなかったのでした。南無阿弥陀仏















