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【開催報告】3/20(祝)春の永代経法要

2024.03.21

参詣20名+zoom最多8名

親鸞聖人の神祇観について、学ばせていただきました。

主著『教行信証』本文の結びが「人間たる者が鬼神(霊)につかえてはならない」(趣意)であることは、トラブルが続けば「何かある!」との念が湧き、魔を生み出し祟りをおそれる迷いを照らされ、真の自立=自我からの独立を願ってやまない如来の大悲に触れたからでしょう。
「信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし」(『歎異抄』第七条) 、神々に向かって拝むのでなく、拝む必要がないと見開いた信心の行者を神々が敬うとは、既成の宗教理解をひっくり返す、驚くべき内容です。

元日に大地震が起き、翌日に羽田空港で大事故が起きた際、「気分が滅入ります。神も仏もないのでしょうか」と吐露されたご婦人を憶います。
神も仏も同一視し、いわば無敵のガードマンをイメージするのは、このご婦人だけではありません。実は了善寺も神社も同一視され、阿弥陀如来も神さま(日本の神々)も一緒・・とみられているのが実際です。 むしろそういう宗教観は、私たち日本人の体質になって深く刻まれています。
「正月早々、何でこんなことが続くのか・・」と無意識にも縁を無視し、「何かある」と感じた人は多いはず。私も滅入りました。このご婦人を否定できる人は決して多くないでしょう。

問題は、ここから「そもそも神とか仏とは何なのか・・」という新たな問いが生れるかどうかです。南無阿弥陀仏

お斎(弁当)を持ち帰った方々もおられましたが、15時頃まで語り合いは続きました(白黒加工もいいもんですね・・)

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