本山発行『同朋新聞』11月号「悲願の鐘」
2025.10.17

前教学研究所長・大谷大学名誉教授の宮下晴輝氏ご寄稿の『同朋新聞』11月号巻頭言にて、西村見暁師の「悲願の鐘」が紹介されています。西村師ご製作のパンフレットを掲載しているウェブページをあらためてご味読ください。
かつて、A級戦犯に戦争責任を負わせて事足れり、とした戦後の混乱期に、伊丹万作氏(映画監督/伊丹十三の実父)がしたためた以下の一文が響きます。
いわば「国民自身の戦争責任」という問題提起です。時代を問わず、もちろん現代においても、「民意」、国民の意識が国の方向を定めるのです。
さて、我々はどこへ向かっているのでしょうか。南無阿弥陀仏
責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永遠に救われるときはないであろう。「だまされていた」という便利な一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」と言って、平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
『新装版伊丹万作全集1』「戦争責任者の問題」