7月12日(日)盂蘭盆会
2020.07.12
新型コロナウイルス対策の一環として、午前・午後に分散し、各12名限定・お勤め約20分+法話約20分=計45分としました。また、初盆を迎えるご門徒の半数は、個別に自宅または本堂でのお参りになりました。
午後の法話では今月1日にご西帰された金丸昌美法兄(法名:大地院釋覚音 満81歳寂)の葬儀に際し、池田勇諦先生から喪主宛に送られてきた弔詞に書かれていた「證大涅槃(しょうだいねはん)の生まれ甲斐(うまれがい)」との一言に聞き学びました。特定の個人に宛てた弔詞に、万人に通じる公け性があらわれています。一人の生死は私事でなく公事なのでした。
かつて門弟明法房弁円(みょうほうぼうべんねん)が往生の素懐を遂げた報せに接した親鸞聖人は「うれしくそうろう」「めでたきことにてそうろう」(『真宗聖典』563㌻)としたためておられます。弔詞の冒頭の「最晩年、ついに仏法に出遇われて」には、間に合ってよかった!おめでとうございました!との仏法讃嘆が溢れんばかりです。そして「永久にわたしどもの闇を照らし導きたまへ」との結びは、亡き人を諸仏と仰ぐ眼あればこそです。
「生きがい」ではなく「生まれがい」。ちょっとの違いが大きな違い。それにつけても「生まれがい」とは、実にすごい言葉です。『正信偈』には「唯説弥陀本願海」-阿弥陀の本願を説く為に釈迦如来は出世された-と親鸞聖人が出遇った釈迦如来の「生まれがい」が詠われてありました。南無阿弥陀仏。
故金丸昌美氏のご仏前に供(そな)う
最晩年、ついに仏法に出遇われて、生涯を完結され、まことに見事な證大涅槃の生まれ甲斐を果たされたお姿と拝されます。
もはや法身(ほっしん)となられ、永遠(とわ)にわたしどもの闇を照らし導きたまへ。
合掌 池田勇諦