7月16日(土)14時~15時半 盆法要
2022.06.30
「暑い」と言いたくないほどに、いきなり暑い6月下旬です。
盆合同法要(盂蘭盆会)を今年も勤めます。
本山(京都東本願寺)の参拝接待所では、本廟収骨(遺骨の分骨納骨)・申経等を受け付け、ほぼ年中無休で全国からの参詣者をお迎えしています。私は10年余り前から、本山の教導(真宗本廟教化教導)を務めていますが、上山する度に参拝接待所に、恐らくは50年以上?掲げられている法語を目にします。誰の言葉かもわかりませんが、それは「亡き人を案ずる私が亡き人から案ぜられている」という広く知られた言葉です。
『涅槃経』という経典には、父王を獄中死させた王子が後に罪悪感に苦しみ、自分で自分を受けとめられない煩悶に身も心もボロボロになる様子が説かれています。王家におもねる6人のアドバイザーは、「王位継承に伴う父子争いは、どこの家でもありますよ」「父王も悪かったのですから、気にしない方がいい」「罪の報いで地獄に堕ちるなんて、考えすぎですヨ」という具合の気休めばかり。王子はむしろ孤独に沈みます。
耆婆(ギバ)という家臣がひとり、「釈尊のもとに行きましょう」とすすめますが、王子は真実に触れることへのおそれから行こうとしません。
その最中に亡き父王の声が虚空から聞こえます。
「汝(なんじ=あなた)今まさに耆婆の所説に随うべし。邪見六臣の言に随うことなかれ」。(『聖典』258頁)
霊魂でもなく、先祖でもなく、「諸仏(しょぶつ)」の声でした。まさに「亡き人を念ずることを忘れた私も、亡き人から念ぜられている」のでした。真実の死者観は、ここに極まります。南無阿弥陀仏