8/30(日)「香草忌」
2020.08.12
昭和29年8月27日 満77歳にてご西帰された暁烏敏(あけがらす はや)先生 香草院釋彰敏のご命日法要「香草忌」(こうそうき)を本年も勤めます。
講師の松田章一先生(昭和11年生まれ・作家・石川県金沢市 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E7%AB%A0%E4%B8%80 )は、金沢のご自宅からのリモート出講となりました。
日時 8月30日(日)14時~17時
本堂への参詣12名限定 + ZOOM配信(人数制限なし)
いずれも27日までに了善寺宛にメールにて必ず事前にお申し込みください。
<追記>本堂は満席になりました。ZOOMにてご参詣ください。
※参加費制ではなく随意志納です。〈三井住友銀行 浜松町支店(普通)0558485 宗教法人了善寺〉
本年は暁烏先生の最晩年に焦点を当てて、「臘扇堂(ろうせんどう)建立のころ」と題した記念講話をいただきます。
「臘扇堂」は昭和29年8月20日(西帰1週間前)に明達寺(みょうたつじ)境内に落慶した御堂であり、内部には正面に端座する清澤満之師を遺弟暁烏先生が礼拝する木像が収められています。臘扇堂建立は最晩年の三つの願いの一つでした。(他の二つは①親鸞聖人700回御遠忌法要を勤める-世界二十億の民に念仏を ②十七条憲法を鑑とした日本国憲法改正運動)
終生昵懇だった曽我量深師が昭和41年13回忌法要の折に臘扇堂にお参りされた際には「暁烏君はえらいね。一生涯清澤先生のおそばで先生を礼拝され、ご自分の師を慕い、師の信心をわが信心として頂かれたんですね。その心には驚くばかりです」と仰っておられます。(真宗大谷派難波別院発行『南御堂』1984年10月号「触光」〈続6〉・横山定男著『詞集ありのままがありがたい』所収)
また『曽我量深講義集第八巻 法然と親鸞』(彌生書房)には暁烏先生の追弔法話が2篇収められていますが「(清澤)先生から見ると自分のあとつぎは暁烏であると目をかけていたのであろう。それはちょうど釈尊が阿難に目をかけたと同じであろう」(168頁‐)「暁烏さんは最後の願いとして臘扇堂を建てられた。これには法というものがあると思われる。ただ人間と人間のつながりではない。普通の師弟の関係は情愛であるから親子と同じである。それで生きておる間だけのことであるが、法の師弟は死と生を一貫して生死を超越している」(170頁)と讃仰されています。
暁烏先生は実に多面体でしたが、歌人でもありました。
「確認されたものだけでも16200余首におよぶ。(ちなみに同時代の歌人斎藤茂吉は13000余首といわれる)」(林暁宇『略伝暁烏敏』)
以下は、とびきりの一首。私の座右の銘でもあります。
この洒脱と懺悔に暁烏先生の真骨頂、念仏が開く世界を仰ぎます。
偽坊主(にせぼうず)金袈裟(きんげさ)かけて南無阿弥陀それでお布施は贋金(にせがね)でなし