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十方恒沙の諸仏
本願真実を讃嘆し証する無数の諸仏の伝統こそ本願真実の唯一無二の証です。
2018年5月13日称佛寺(石川県白山市・島﨑暁民住職)
称佛寺(石川県白山市・島﨑暁民住職)にて。池田勇諦師の法話を最前列で聴聞する島﨑師。
2011年6月6日「浜風臘扇忌」
講題「日本他力教」講師:近田昭夫師(顕真寺・東京) 場所:愛知県碧南市西方寺
2011年6月6日「浜風臘扇忌」
講題「日本他力教」講師:近田昭夫師(顕真寺・東京)場所:愛知県碧南市西方寺
2010年8月22日「香草忌」後「たがわ龍泉閣」にて
㊧近田昭夫師(顕真寺・東京)㊨谷田暁峯師(広大舎主宰)「香草忌」後、「たがわ龍泉閣」にて。
2010年8月22日「香草忌」後「たがわ龍泉閣」にて
後列中央(黒トップス)=水野暁輝氏、後列右から2番目=酒井笑子氏。
2008年11月27日磯長の御廟(叡福寺)
磯長の御廟(叡福寺)に向かって念仏申す谷田暁峯師。聖徳太子と母、妃の「三骨」が収まる廟所。
2010年11月26日奈良岡本邸前にて ㊨岡本暁禮師(禮子)㊧山西睦子氏
撮影年月日不詳。藤原正遠師夫人。鉄乗師の息女であり、池田勇諦師夫人=牧様の御母堂。石川県浄秀寺。(撮影・横山定男氏)
暁烏哲夫師。昭和29年暁烏敏師ご西帰後しばらくして、清澤家から入寺され明達寺住職に。大谷大学にて哲学を講じていた。撮影年月日不詳。(撮影:横山定男氏)
四国教区坊守一夜研修会 講師:高光かちよ師(一也師夫人・最前列中央)※横山定男氏(最前列右端)
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
明達寺境内にて㊧大嶋暁北師㊥辻暁湧師㊨岩瀬暁灯師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話谷田暁峯師(当時ミサワホーム勤務)※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話蒲池暁青師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話林暁宇師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話岩瀬暁灯師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話児玉暁洋師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
感話西村見暁師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
法話西元宗助師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
法話西元宗助師※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
明達寺本堂※横山定男氏撮影
1987(昭和62)年10月3・4日暁烏敏師33回忌法要
明達寺本堂にて 外陣最前列〈左から〉蒲池暁青師・林暁宇師 二列目㊧西村見暁師※横山定男氏撮影
「加賀の三羽烏」(暁烏敏・高光大船)の中で最も長命され、昭和50年2月16日96歳にてご西帰。石川県浄秀寺住職。(撮影:横山定男氏)
1966(昭和41)年5月26-28日 暁烏師13回忌法要法話 曽我量深師
3日間の講師は曽我師、金子大榮師、藤原鉄乗師。三師共に暁烏師と終生昵懇。撮影:横山定男氏
1966(昭和41)年5月26~28日。暁烏師13回忌法要
法話・金子大榮師 (明達寺本堂)
1966(昭和41)年5月26-28日。暁烏師13回忌法要
七百回御遠忌・暁烏師十三回忌法要厳修。明達寺(石川県)。撮影:横山定男氏
1966(昭和41)年5月暁烏師13回忌法要 臘扇堂
明達寺臘扇堂にて。堂の回廊を法中が行道しているようである。撮影:横山定男氏
1966(昭和41)年5月暁烏師13回忌法要 三味線婆ちゃん
三味線婆ちゃん(岡部つね師)が参詣者にお茶を接待。貴重な一枚である。撮影:横山定男氏
1965(昭和40)年5月浄秀寺御遠忌法要※横山定男氏撮影
最前列左から5人目:藤原正遠師・正遠師後:講師松原祐善師・祐善師後:藤原鉄乗師
1960(昭和35)年頃?
㊧秦菊枝氏・㊨藤原鉄乗師
1954(昭和29)年8月28日 暁烏師葬儀
暁烏師葬儀(27日午前7時25分78歳西帰)。午後5時20分「御出立」。火葬場への野辺の送り。撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月28日暁烏敏師(香草院釋彰敏)葬儀 野辺送り
先導㊨西村見暁師。㊧蒲池暁青師。中央白装束は暁烏総夫人。撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月28日暁烏師葬儀。火葬場。
火葬場。「おのおのの口に短念仏止まず」「所化達(衆徒)が突然恩徳讃を斉唱」。撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月28日暁烏師葬儀
〈最前列〉右から2人目藤原鉄乗師
1954(昭和29)年8月28日暁烏師葬儀
明達寺本堂※横山定男氏撮影
1954(昭和29)年8月?明達寺臘扇堂前にて
㊧北橋茂男氏(大阪「北極星」創業者)㊥藤原鉄乗師㊨横山定男氏(撮影者)
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
最前列(導師)藤原鉄乗師。(石川県白山市浄秀寺)前列左から2人目:藤原正遠師。3列目中央:林暁宇師。(撮影横山定男氏)
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
1954(昭和29)年8月20日臘扇堂落慶式
臘扇堂落慶式(石川県明達寺・暁烏敏師)撮影:横山定男氏
高光一也・かちよ夫妻※横山定男氏撮影
撮影日時不詳・一也師は洋画家、専称寺住職
藤原鉄乗師(電車内)※横山定男氏撮影
撮影日時不詳・市電内で撮影?
曽我量深師・横山定男氏撮影
撮影日時不詳
撮影年月日不詳。涼しげな着流し姿で居眠りされているのか。生来の弱視が進み、眼病も患い、昭和20年にほぼ失明状態に。(西恩寺前坊守池田牧様が小学5年生当時、浄秀寺に来られた暁烏師の手を引いて階段を降りる際に「目が見えないと言うけど、どのくらい見えるがや?」と訊ねたところ「そうやな。月がボーっと見えるくらいや」と師は返答されたと聞く)
㊥高光大船師㊧横山定男氏
日時・場所不詳※横山定男氏撮影
高光大船師
※横山定男氏撮影
高光大船師※横山定男氏撮影
撮影日時不詳・㊧横山定男氏・㊥高光大船師・㊨小林勝次郎氏
高光大船師
京都本山向かい総会所にて※横山定男氏撮影
北間駅(石川県金沢市)にて
㊨曽我量深師㊧高光大船師※横山定男氏撮影
暁烏師 揮毫中
撮影年月日・場所共に不詳。暁烏敏師が揮毫されている場面。撮影:横山定男氏
和服姿が目立つ時代の真宗寺院の風景。講師は松原祐善師のようにも見えるが定かではない。黒板もホワイトボードもレジュメもない。凛とした静謐さ。日本的霊性が具象化されている。
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会の歩み
林暁宇師と暁宇会
十方恒沙の諸仏
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